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量子テクノロジーにアートが求められる理由
アーティスト/フューチャリスト、エイミー・カールの視点から
エイミー・カール(アーティスト/フューチャリスト )×森 旭彦(サイエンスライター )
DATE | 2025.3.11 TUE. | 12:00-13:00 JST
量子テクノロジーにアートが求められる理由
アーティスト/フューチャリスト、エイミー・カールの視点から
量子テクノロジーと社会について考えるとき、どうしてアートが必要なのでしょうか? 量子を題材にしたアーティスト・イン・レジデンス・プログラムで知られる「Studio Quantum」で作品を制作したエイミー・カールに、その活動や考えについてうかがいます。
(使用言語:英語)
量子技術が現実世界への実装に近づくなかで、その議論はもはや研究室の中だけにとどまりません。今や社会、倫理、文化といった領域にも波及しつつあります。そしてその変化の中心には、しばしば見落とされがちな存在——アーティストがいます。「Studio Quantum」(https://www.goethe.de/prj/lqs/en/) は、ドイツのゲーテ・インスティトゥートが主導するヨーロッパ発のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムです。このプログラムでは、アーティストと科学者が対等なパートナーとして協働し、量子の未来を共に想像し、形にしていきます。ここでは、アメリカ人アーティストでありフューチャリストでもあるエイミー・カールとの対話を通じて、量子という未知の領域における芸術の役割に迫りました。
科学と詩のあいだに生まれるもの
「Studio Quantum」は、量子技術という新たな地平を、芸術の視点から探求することを目的として設立された国際的なレジデンス・プログラムです。ドイツ、アイルランド、オランダなど世界各地の都市を舞台に、アーティスト、研究機関、テック企業、大学などが垣根を越えて連携しています。
このプログラムの特筆すべき点は、単なる科学の解説に芸術を用いるのではなく、量子技術がもたらす社会的・倫理的・生態的な影響に光を当てている点にあります。選出されたアーティストたちは、量子科学者やエンジニアとの密な交流を通じて、一般公開のイベントにも参加しながら、量子と芸術が交差する新たな表現と思考の地平を切り拓いていきます。
この取り組みは、ゲーテ・インスティトゥートが過去に展開した「Living in a Quantum State」というグローバル・イニシアチブを土台としています。ダブリン、ベルリン、ロンドン、北京、サンフランシスコといった都市で量子の未来についての対話を促してきたこの活動の流れを受け継ぎ、「Studio Quantum」はさらに一歩踏み込み、量子研究と文化的想像力との創造的な出会いをより深めることを目指しています。
「このプログラムは、量子を“理解”することを目的にしているわけではありません」と語るのは、2023年にベルリンで2週間、そしてリモートで2カ月間レジデンスに参加したエイミー・カール。「むしろ、人々が“感じる”ことを促すんです」。
彼女はこう続けます。「量子物理に向き合うことは、私たちが“未知”とどう向き合うかを問うことでもあります。重要なのは技術的な習熟ではなく、量子が開きうる未来を、芸術とデザインを通してどう想像できるかということなんです」。
アートと量子が結びつくとき、「死」も変わる?
カールのレジデンスは『Echoes from the Valley of Existence(存在の谷からの響き)』という没入型インスタレーションとして結実しました。これは、量子原理、生体情報、AIを統合したインタラクティブな作品であり、私たちの生物的・デジタル的残響が、空間と時間を超えて、あるいは量子の未来にまで共鳴しうることを可視化します。そこでは、空間自体がデータの残響によって生きているかのように変化し続け、観る者はもはや単なる「身体」ではなく、「データ」「パターン」「共鳴」となっていきます。
彼女はこの作品の一部であるメッセージやDNAの断片を月に送ることによって、「エンタングルメント(量子もつれ)」や「ノー・クローニング定理」といった量子概念を拡張し、人間の存在の一回性と宇宙的なつながりを詩的に探求しています。
カールの問いは「量子が統合された世界で“人間である”こと、“生きている”ことの意味は、どう変わるのか?」というものでした。
量子の世界では、物体は同時に複数の状態をとる(重ね合わせ)ことも、遠く離れていても瞬時に結びつく(エンタングルメント)こともあります。これらの現象は、私たちの直感的な現実認識を根底から揺さぶります。カールはそれを抽象的な科学用語ではなく、身体的・感覚的な体験として提示することで、観る者にその意味を“感じさせ”、内在化し、問い直す空間を提供します。
レジデンス期間中、彼女は量子技術と生物・人工知能との融合についても深く探究しました。そこでは「存在」の多様な形態——生、意識、そして「死とは何か」という根源的な問いに至るまで、領域を超えた考察が展開されました。生死の境界線を見つめてきた彼女自身の闘病経験も、この探求に深い個人的な重みを加えています。
「量子の視点では、観測されるまで状態は確定しません。つまり、現実そのものが不確定なのです」。この考え方は、彼女の生と死、そしてアイデンティティに対する深い内省と響き合います。
カールの作品は、量子生物学やポストヒューマニズムの思想とも交差しながら、テクノロジーが「人間とは何か」をどう再定義しうるのかを問い続けます。この文脈において、アートは単なる解説の手段ではなく、倫理的な洞察の手段へと昇華します。私たちが変容し続ける存在論の中で、自らの居場所を“感じ取る”ための装置なのです。
「答え」を急ぐのではなく、「よりよい問い」を探す
「Studio Quantumで最も強く感じたことは、量子について“理解”することではなく、“まだ理解できていない”ことを受け入れることの大切さでした」とカールは振り返ります。
「科学者もアーティストも、実は答えを探しているのではなく、“より良い問い”を探している——それがとても印象的でした」。
科学と芸術という異なる領域が、探求という共通の営みを通して共鳴する。この気づきは、彼女のレジデンス体験の核心にありました。「お互いを翻訳する必要はないんです。同じ問いを、それぞれのやり方で探ればいい」。
その“それぞれのやり方”は、言葉や数式を超えるものであることも少なくありません。カールは、量子的リアリティの抽象性や複雑さにこそ、感情や身体性、直感に根ざした理解が必要だと考えます。彼女の作品は、量子の概念を可視化するだけでなく、人々がその“存在感”を体験できる場を創出することに主眼を置いています。
「私の芸術実践はいつも“より良い問い”を立てることにあります。問いが洗練されればされるほど、可能な未来をより明確に見通せる。そして、時には畏敬や啓示の感覚をもたらすことすらあるんです」。
彼女にとって芸術とは、装飾でも解説でもありません。それは未来を形づくるための批評的なツール。量子的な不確実性と絡み合いの世界において、重要なのは“答え”ではなく、“正しい問い”を恐れずに立てる勇気なのかもしれません。
(文/森 旭彦)

エイミー・カール|Amy Karle
アーティスト、フューチャリスト
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デジタル、クオンタム、生物システムの交差点で活動するアーティストであり、未来を探求するフューチャリストでもある。彼女の作品は、テクノロジーの進化が人間に与える影響を問い、社会や医療の発展に貢献することを目的としている。ポンピドゥー・センターや森美術館など54の国際展覧会で作品を発表し、BBCの「最も影響力のある女性100人」に選出。米国国務省のアーティスト外交官も務めた。

森 旭彦|Akihico Mori
サイエンスライター
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サイエンスと人間性の相互作用や衝突に関する社会評論をWIRED日本版などに寄稿。ロンドン芸術大学大学院にてメディアコミュニケーション(修士)を学ぶ。大学院在学中に BBCのジャーナリストらを取材したプロジェクト『COVID-19 インフォデミックにおけるサイエンスジャーナリズム、その課題と進化』が国内外のメディアで取り上げられる。