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数学や物理はからきしダメと言いながら、「未知なることを知りたい」「目に見えないものを視覚化したい」と漫画家のしりあがり寿さんが、研究者の水野弘之さんに量子について、量子コンピュータについて尋ねます。そして「量子」「量子ビッド」「重ね合わせ」「もつれ」などの視覚化を試みます。

しりあがり寿さん、量子の世界の視覚化に挑む

しりあがり寿(漫画家)×水野弘之(日立製作所 基礎研究センタ主管研究長 兼 日立京大ラボ)

​進行:谷口真佐子(株式会社アクシス)

DATE | 2025.3.12 WED. | 12:00-13:00 JST

しりあがりさんと水野さんの対談は、本ウェビナーに先駆け、2024年12月にも実施されました。ここではそのときのやり取りをテキストとしりあがりさんのイラストで紹介します。本ウェビナーでなぜ「漫符」に至ったかが明かされるとともに、量子や量子コンピュータ、現在の開発状況といった素朴な疑問に対して、水野さんがわかりやすく解説します。

しりあがり寿さんが探る、量子コンピュータ科学者の頭の中

「量子コンピュータも基本的には未来を予測したい」

 

しりあがり:最初に数式って何?というところから聞いてみたいと思っています。僕は数式を見ても全然わかんないんです。一方で、それを言葉で表せたら面白いとも思っています。

水野:数式は物理現象を正確に表すためのツールです。でも、数式を言葉で説明するのは簡単ではありません。ある意味でイメージの世界。粒子と波動の二重性なんて誰も見たことはないけど、そう考えれば矛盾がないというだけ。将来、人間の頭がもっと良くなったら実は違ったとなるかもしれない。

しりあがり:粒子と波動と聞いて最初に思いついたのは川での石切りです。水面にできる波紋は、量子コンピュータに関連していますか?

水野:関連していますよ。ヤングの二重スリット実験は、電子が粒としても波としても振る舞うことを示した有名な実験です。この実験では、2つのスリットを通り抜けた電子が波のように広がって干渉縞をつくり、粒としては1つずつスリットの先にあるスクリーンに当たるという結果が観測されました。

しりあがり:??? その実験を踏まえた数式を受け入れろということですね(笑)。

 

水野:そう。量子の世界は見えないし、わからないから、「それをもって理解したと考える」ということです。もし粒と波の間に「中間はあるのか」と問われたら、今はないだけで将来は何か別の解釈のほうが適切だということになるかもしれない。今は粒子と波動しか、われわれは言葉を知らないということです。

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しりあがり:その粒と波の間に区切りがあるわけではないんですか?

 

水野:ミクロなところで生まれた量子の効果が、大きなところでは潰れてしまって、人間が捉えることはできないということです。これは観測技術の問題ではありません。それならば、世の中にも影響を与えないだろうと思われるかもしれませんが、ミクロな変化が連鎖的に起こることでマクロな量にも影響する。いろいろな物質の反応はすべて量子効果によって起こっていて、結果として生まれるマクロな変化は外からわれわれにも見えるということです。

 

しりあがり:外から見ると一人ひとりの人間のことはわからないけれど、日本国はこうだということはわかる、というようなことでしょうか。

 

水野:そう、一人ひとりの人間の行動がある時から見えなくなるというのが、量子効果です。とはいえ、小さな現象とそれが集まった大きな現象の関係は、まだ完全に理解できていません。ミクロの現象を理解しないと全体も理解できない。

しりあがり:漫画は逆で、電子や量子もひとりずつ個性があって自由に動いているんだけど、集まると方式に合うみたいな。だから人間も宇宙から見たら数式のひとつじゃないかといったことを考える漫画家もいるみたいです。

 

水野:小さな領域の話と、それらが集まってできた大きいものの性質は必ずしも連続しない。それは、将来、人類が挑まなければならない問題の1つです。人間の理解力がそこまでついていない。一方で、漫画や芸術は、数式では理解し得ない複雑なものを楽しむ方法だと思います。だって全部予測できちゃう世界なんてつまらないですから。かたや科学者はみんな基本的には全部を理解したい、式で表したいと思っているはずです。

 

しりあがり:数式がわかると、何がわかるんですか? 

 

水野:未来が予測できるようになります。ロケットは、推力を上げたらどうなるかを予測できないと打ち上げられない。量子コンピュータも基本的には未来を予測したいんです。

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しりあがり:量子コンピュータをつくるうえで重要な数式はありますか? 

 

水野:シュレーディンガー方程式です。

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しりあがり:ほとんど模様ですね。このhって何ですか? 

 

水野:hはプランク定数というある値です。πと同じで、長い桁数の数字なのでhという文字で表現しています。hに傍線が付いていますが、それはプランク定数hを2πで割った定数であることを示しています。

 

しりあがり:なるほど。この式を言葉で表すとどうなるんでしょうか?

 

水野:シュレディンガー方程式は、電子のエネルギーとその動きを表す波動関数の関係を示しています。最初に説明したように電子は粒のように見えますが、実際には波の性質を持っており、その状態は波動関数という波で表されます。この波動関数の形は、電子の持つエネルギーによって決まります。シュレディンガー方程式は、この波動関数の形を決める基本的な方程式です。

 

しりあがり:それの何が画期的なのでしょう。

 

水野:電子などの量子の振る舞いを「波動関数」として数学的に正確に記述できるようになったことです。これにより、従来の古典物理学では説明できなかった電子のエネルギーや確率的なふるまいが理論的に導き出せるようになりました。

 

しりあがり:数字を入れると、計算ができるわけですね。波動関数とは何ですか?

 

水野:電子の状態を表す数学的な関数で、「その粒子がどこにいるか、どのように動くか」を記述するものです。

 

しりあがり:このデータから位置もわかる?

 

水野:はい。波動関数の値自体には直接的な意味はありませんが、その絶対値の2乗を計算すると、「電子がある場所に存在する確率」を求めることができます。例えば、原子の中の電子は、波動関数の形によって「この辺りにいる可能性が高い」と予測できます。ただし、さらに複雑なことを言いますが、電子などの粒子の「位置」と「運動量(速さと質量の積)」を同時に正確に知ることはできないという性質があります。これを不確定性原理と言います。位置をきっちり決めると、速度がぼんやりしちゃうし、逆に速度を知ろうとすると、位置がふわっとしちゃうんですね。この性質は、電子が波として振る舞うことと深く関係しています。

 

しりあがり:量子コンピュータについても教えてください。

 

水野:古典コンピュータがどうやってできているかをまず説明しますね。古典コンピュータは0と1だけを使い数字を表現し計算も行います。0と1は情報があるかないかで計算する仕組みです。途中でノイズが入っても、例えば0.1くらいの小さいノイズが加わっても、0か1のどちらかしか取らないのであれば、そのどちらかに修正できる画期的なものです。計算やコピーを繰り返しても常に正確です。

 一方で量子コンピュータは違います。0と1だけではなく、その間のどんな値でも扱うことができます。ただその柔軟さのせいで計算中にノイズが混入したりするとその値を正確に保つのが難しくなるわけです。このズレを補正する仕組みを実装する必要があり、今日の量子コンピュータ開発の大きな課題となっています。

 量子コンピュータの画期的な点として、先ほどは「0と1だけではなく、その間のどんな値でも扱うことができます」と言いましたが、本当は重ね合わせという性質にあります。0と1の値(状態)をある任意の割合で同時に持てることで、古典コンピュータでは不可能な複雑な計算を効率よく行う可能性を秘めています。例えば、量子の状態を球体の表面に例えると、0は北極、1は南極に対応し、赤道上では0と1がちょうど半々に重なり合った状態を表しているんです。

 外部から特定の周波数の電磁波を加えることで量子ビットの状態が変化していく現象をラビ振動と言いますが、その変化を観測しながら、量子の状態を追っていけるんです。ほら、簡単なことに思えてきませんか?  

 

しりあがり:いや、ちょっと待ってください。騙されているような(笑)。球は数式上のもの?

 

水野:球(ブロッホ球)は実際に物理的なものとして存在するわけじゃなくて、数式で表された“状態”を示すモデルです。その状態は波動関数と呼ばれて、電子がどんな状態にあるか情報をわかりやすく表現しています。

 量子コンピュータは、量子ビットがいろんな状態を持てるおかげで、小さな規模でもものすごい計算力を発揮します。でもこの仕組みには問題もあって、誤りが蓄積しやすいことです。だから、誤りを訂正する仕組みをつくるのがとても大事なんです。

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しりあがり:そうなると、量子コンピュータとはアナログっぽいですね?

水野:その通りです。無限精度のアナログコンピュータがつくれたら、最強のコンピュータです。でも、それは実現不可能でしょう。量子コンピュータは、それに次ぐパワーを秘めたコンピュータなんです。

 

しりあがり:量子の結果を取り出すときは、デジタル化する必要があるんですか?

 

水野:観測した瞬間、結果がデジタル化されます。これはコペンハーゲン解釈とか標準解釈と呼ばれる考え方で、観測した瞬間に波のように広がっていた状態が収縮して、0か1のどちらかに確定します。

 

しりあがり:そうか、最終的に0か1で結果がわかればいいわけですね。

 

水野:現状のシステムにつなげるときにはそうなります。将来は量子状態のまま次のシステムに入力するという話になるかもしれませんが。

 

しりあがり:波の重なり具合というのは、球の中の話ですよね

 

水野:そうですね。量子コンピュータは0と1だけでなく、それらが重なった状態も扱えるのが特徴です。この重なり合った状態を使うことで、従来のコンピュータでは難しい計算が可能になります。例えば、素因数分解のような複雑な計算を速く解ける可能性があります。これが暗号技術の限界を変えると言われる理由です。パスワードがバレていなくても暗号が解けちゃうわけですね。

 

しりあがり:ここら辺が大体あっているみたいな重ね合わせを続ければ解けるということ?

 

水野:暗号の仕組みは公開鍵暗号という方式の1つに基づいています。これは、非常に大きな桁数の数字を使って暗号化する方法で、この数字は

素数かける素数で計算できる数字できています。暗号を解読するにはその素数を見つける必要があります。大きな桁数の数字を素因数分解する必要があるわけですが、この計算にものすごく時間がかかるのです。だから暗号を解くには時間がかかる。なので解けないとなるわけです。でも量子コンピュータは、この素因数分解を一瞬で解ける可能性がある。

 最近は、2段階認証のような、単なるパスワード保護だけではない別の方法も組み合わせた安全性の高いシステムが一般的になってきていていますが、そうした背景があるんです。

しりあがり:新薬ができやすくなるかもしれないとも聞きました。

 

水野:新薬開発は、分子や原子の反応を予測できるかどうかが重要です。もしそれが正確にシミュレーションできれば、究極的には動物実験や臨床実験が不要になる可能性があります。今はどんな薬がどんな人に効くかや副作用がどのくらい出るかがわからないから実験が必要だけど、量子コンピュータを使えばこのプロセスを大幅に短縮できるかもしれない。シュレーディンガー方程式を使って、反応を直接シミュレーションできるからです。

 

しりあがり:結果を予測するということですね。

 

水野:そうそう、でも完全にはできませんよ。人間はものすごく複雑だから。今は、動物実験で機能が確かめられる薬が、ものすごい数の実験をしてやっと見つかるぐらい。それがもっと効率よく発見できれば、それだけで価値があると思いませんか?

 それから希少疾患に対する新薬開発は、後回しになりがちです。コロナななどは、世界中でものすごく早いスピードで開発されたけれど。希少疾患に対する創薬についても開発が早く進むのは非常にいいことだと思います。

 

しりあがり:私は奥さんの地雷を踏まないようなコンピュータが欲しいですけどね(笑)。

 

水野:(笑)。ChatGPTは一種の予測マシーンで、入力された言葉に対して過去のデータをもとに最も自然な答えを予測して返します。同じように、特定の個人のデータを取り込めば、その人特有の反応を予測できる未来も考えられます。奥さんの反応を予測するツールだって可能かもしれません(笑)。

 

しりあがり:量子コンピュータは開発競争が盛んで、日本にも可能性があるようですね。

 

水野:日本には優秀な量子力学の研究者が多くおられて、ノーベル賞も過去たくさん受賞してきました。ただ基礎研究を製品化して事業にするところが課題です。大学と企業の橋渡しがうまくいかないと研究が産業につながりません。われわれはその役割を担おうとしています。

 われわれが取り組んでいるのはシリコン技術です。集積性が高くて小型化しやすいので、量子ビットを例えば100万個の規模で実装するには最適だと思います。国内では現在、さまざまな量子コンピュータの方式が並立して研究開発されている状況で、どの方式が最善かは見えていません。でも、こうした競争が最終的な技術の選定につながるので、今は幅広く取り組むことが重要です。10年後には、どの方式が主流になるかがかなり見えてくると思いますよ。

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しりあがり:10年後が楽しみになってきました。日々試作しては実験し、実験しては試作しの繰り返しなんですか? 

 

水野:そうです。先ほどお見せした実験データも2週間くらい前のデータですし、先週のデータは今週になるともっと良いものになります。

 

しりあがり:すごい! 苦労はどんなところですか?


 

水野:競争が激しく、進むスピードも早いところ。それでも、トップに立つ人だけが見える景色を求めて皆、日々研究しているんです。とはいえ、トップの人が見る世界は真っ暗なんです。後ろを振り返るとたくさんの人がいて(笑)。トップだけはどっちに進んでいいかわからないし、目の前に崖があるかもわからない。でも開拓して、一番最初に新しい景色を目にできる。研究者の醍醐味はその状態を楽しむことだと思います。 

 

しりあがり:それだけの労力をかけてつくられた技術が、どのように私たちの日常に影響を与えるのか想像するのは面白いですね。

今日、僕は量子という目に見えない世界を、漫画の中で視覚的に表現したいと思ってきました。例えば、「漫符」のような記号を使えば、量子の不確定性や重ね合わせといった概念を感覚的に伝えられるかもしれない。波の重ね合わせを何かふわふわした線で表したり、粒子を点や線で描いたりするのはどうでしょう。複雑な数式を直感的に感じられる形にしたいですね。

 

水野:それは非常に興味深い試みです。科学の概念を視覚的に伝える手法は、研究者にとっても新しい発見のきっかけになるかもしれません。例えば、量子の状態を図形として表現する試みは、量子力学の初期からありました。記号化された表現は、一般の人々にとっても理解しやすいので、期待したいですね。

 

……3月12日のウェビナーに続く。

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水野弘之|Hiroyuki Mizuno

日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ

主管研究長 兼 日立京大ラボ長

​1993年に日立に入社しマイコンなどの集積回路の研究開発に従事。2002年~2003年に米スタンフォード大客員研究員。2015年に量子インスパイア技術「CMOS Annealing」を発表し、2020年にムーンショット型研究開発事業にてシリコン量子コンピュータ研究のプログラムマネージャー就任。日立京大ラボでは新価値やAIの社会実装の研究を哲学者らとともに推進。工学博士。米国電気電子学会(IEEE)フェロー。

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しりあがり寿|Kotobuki Shiriagari

漫画家

1985年『エレキな春』で漫画家としてデビュー。2000年『時事おやじ2000』と『ゆるゆるオヤジ』で文藝春秋漫画賞、2001年『弥次喜多 in DEEP』で手塚治虫文化賞優秀賞を受賞。2002年から朝日新聞・夕刊で『地球防衛家のヒトビト』を連載。ギャグから社会派まで幅広いジャンルの漫画作品を手がける一方、映像、現代アートなど多方面で活躍中。2014年紫綬褒章受章。

量子芸術祭 Quantum Art Festival​

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